8月9日を前に 長崎で平和を想う2026.08.09

1945年8月9日、長崎に原子爆弾が投下されました。
それから81年。

今年も「長崎原爆の日」を迎えるのを前に、長崎原爆資料館と平和公園を訪れました。長崎原爆資料館に入り、まず感じたのは、ここに残されているものの一つひとつが、決して遠い歴史ではないということでした。原爆が投下される前、人々が暮らしていた長崎の街。


そして、11時2分を境に一変したその姿。
館内には、被爆した街の写真や遺品、建物の残骸、原子爆弾に関する資料などが展示されています。長崎原爆資料館では、被爆の惨状だけでなく、原爆投下に至る経緯や核兵器開発の歴史、そして核兵器のない世界についても伝えています。

写真や映像を目にしていると、「多くの人が犠牲になった」という一言では到底表すことのできない、一人ひとりの暮らしがそこにあったことに気づかされます。家族がいて、仕事があり、学校があり、いつもの一日が始まっていた。
その日常が、ある瞬間に失われました。

資料館を出た後は、平和公園へ。
平和祈念像の前には、静かな時間が流れていました。天を指す右手は原爆の脅威を、水平に伸ばした左手は平和を表し、閉じた瞼には犠牲者の冥福を祈る思いが込められています。毎年8月9日には、この場所で平和祈念式典が行われ、長崎から世界へ向けて平和への願いが発信されています。

その手前にある「平和の泉」もまた、強く心に残りました。原爆による熱線で傷つき、水を求めながら亡くなった人々に水を捧げるためにつくられた泉です。今では穏やかに水が流れる場所ですが、その背景を知ると、目の前の風景の見え方も変わってきます。そして今回、資料館で目にした言葉があります。

「長崎を最後の被爆地に」
短い言葉ですが、長崎を訪れたあとでは、その意味がより重く感じられました。国や文化、言葉が違っていても、人と人が出会い、互いを知り、交流できること。
それは決して当たり前のことではありません。

私たち国際文化交流協会が大切にしている「交流」も、その土台には平和な日常があります。異なる文化を知ること、相手の背景に目を向けること、そして違いを越えて理解しようとすること。そうした小さな積み重ねもまた、平和につながっていくのではないでしょうか。

8月9日を前に、あらためて長崎で過去に向き合い、今ある平和について考える機会となりました。犠牲になられたすべての方々に、心より哀悼の意を表します。
そして長崎から発信され続けている平和への願いを、私たちも未来へつないでいきたいと思います。

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